れんしょういん
青森県北津軽郡板柳町石野宮本75
蓮正院の縁起はその記録が乏しいため、詳細は明らかではない。 断片的な資料を総合すると、最初は法隆院と称したが、寛政年間前後に蓮覚院と改め、文化、文政のころにいたって寿円山蓮正院と改称したようで、弘..
蓮正院の縁起はその記録が乏しいため、詳細は明らかではない。 断片的な資料を総合すると、最初は法隆院と称したが、寛政年間前後に蓮覚院と改め、文化、文政のころにいたって寿円山蓮正院と改称したようで、弘前市の大行院の支配下であった。
その由来は「明治十四年火生三昧御祈祷御寄進帳」に次のように記されている。 「大聖不動明王、その昔能登国石動山不動院に奉安請御本尊なり、大納言前田利家郷より火災消除祈願のため、我が祖たる堂守観性法印に下し給へし御神体にして、天正二年(一五七二)大和国大峰山に入りて修行し、権大僧都の位を得、巡り巡りて当国に来りて云々(うんぬん)」
また一説には、関ヶ原の戦いに敗れ、山伏に変装してこの地に落ち着いた由緒ある武士とも伝えられ、遺物としては開祖観性法印所持の法螺貝(ほらがい)およびわき差し(一尺一寸二分、無銘)一腰が保管されている。
なお、五能線工事の際、大戸瀬から出土した石螺(周囲三尺一寸五分、高さ七寸五分のまんじゅう形、重量七貫ぐらい)を保存している。
大峰山
蓮正院
真言宗
醍醐派
不動明王
津軽弘法大師二十三霊場 14番札所 津軽七福神「弁財天」霊場
随時受付
有り、乗用車5台
有り