さいがんじ(まるおかじょうせき)
京都府亀岡市余部古城39
丸岡城(余部城)城跡 この地は、古城と呼ばれる小高い平地で丸岡城(余部城)の城跡である。現在でも「古城」・「古城浦」・「政所」などの地名、城跡周辺に寺院などの跡地が点在し「兵庫寺跡」・「宝蔵寺跡..
丸岡城(余部城)城跡 この地は、古城と呼ばれる小高い平地で丸岡城(余部城)の城跡である。現在でも「古城」・「古城浦」・「政所」などの地名、城跡周辺に寺院などの跡地が点在し「兵庫寺跡」・「宝蔵寺跡」・「庚申堂跡」・城の東麓に「元西岸寺」が残る。 丸岡城が登場するのは、15世紀の応仁・文明の乱のとき東軍の軍事的拠点としてである。戦国時代にはいると、天正(1573~1592)年間、八上の波多野氏が丹波をほぼ手中にし、その傘下にあった福井因幡守貞政が、この城を守り地域権力の拠点的城として使われた。しかし、天正6年6月3日、織田信長の命を受けて丹波に進攻した明智光秀の軍勢が宇津根・雑水川・安行川の三方から丸岡城を攻めて、落城した。さらに勢いに乗じた光秀は八上の城も攻め落として丹波を手中にし、荒塚山に亀山城を築いた。 丸岡城の大手門はこの坂道あたりで、天守閣は西岸寺のあたりとされています。~現地案内板より~
方行山
浄土宗
阿弥陀如来
JR亀岡駅 から徒歩約15分
無料
有り(寺の裏手)
有り