ひとことぬしじんじゃ
和歌山県橋本市山田626
以下、和歌山県神社庁HP該当の箇所から引用
本社は桓武天皇の時代、延暦13(794)年に弘法大師(空海)が当地を訪れた際に村人と相談して一言主神を産土神として祀る神宮寺を創立したのがはじまりと..
本社は桓武天皇の時代、延暦13(794)年に弘法大師(空海)が当地を訪れた際に村人と相談して一言主神を産土神として祀る神宮寺を創立したのがはじまりと伝えられている。 中世の頃には山田、吉原の領主吉田氏の崇敬が篤くて山田村葛城明神社とも称せられて、山田吉原2ヶ村の総鎮守と仰がれてきた。 明治41年から42年に亙り山田村大字山田、吉原、出塔、柏原、神野々、野の6ヶ字に鎮守していた29社を合併合祀し現在に至る。 主祭神一言主大神は雄略天皇が葛城山へ狩に出かけられた時に天皇とお出会いになった。 天皇は自分の衣服や行列の一行とまったく相手が同じであったので不思議に思われ、「この大和の国には私以外大王はいないはずだ、いったいあなたは誰であるのか」と問われると相手も「この大和の国には私以外大王はいないはずだ、いったいあなたは誰であるのか」とまったく同じように問い返してきた。 天皇は大層お怒りになられ弓を取り出して身構えられた。 すると相手も同じように弓矢を取り出し身構えてしばらくの間緊迫した状態が続いたが、天皇が再び「あなたは誰ですか」と問われると、その者は「私は凶事も一言、吉事も一言で言いはなつ神、葛城の一言主大神ぞ」と答えた。 相手が一言主大神であることを知られた天皇が「恐れ多いことです、私は大神様が、この世の人と同じようなお姿でご出現になられるとは存じませんでした」とおっしゃると、お供の人々に与えた衣服を脱がせ、また自分から腰につけていた太刀と弓を取りはずした。 そしてそれらの品物を一言主大神に奉ると大神はお礼の手を1回たたいて物を受け取られた。 天皇がお帰りになられる時大神は長谷の山の入り口まで送られた。 そして以後雄略天皇は一言主大神を深く崇敬されたとのことである(『古事記』下巻より)。 今でも多くの人々から「一言さん」と親しまれ崇敬されている。