国府台城は、江戸川(太日川)沿いの標高25mほどの断崖上に築かれました。 現在は、里見公園として整備され、堀切、空堀跡のなごりと見られる切通し状の坂道などが残っています。公園整備や戦時中の軍隊利用によって、当時の姿からかなり改変されましたが、土塁や櫓台と思われる遺構が確認できます。国府台は、眼下に渡河点があったため、度重なる合戦の舞台となりました。文明11年(1479年)、太田道灌の弟の資忠により国府台城が本格的に築城されたと考えられています。その後は北条氏と里見氏が戦った国府台合戦などが繰り広げられ、戦いの度に堅固な城郭として整備されていったと思われます。