つちはしじょう
千葉県香取郡多古町御所台172
土橋城は、栗山川西岸沿いの南北に伸びた台地先端に築かれています。この地は水陸交通の要衝で、栗山川という水運の幹線と、城下を走る佐原への街道(多古街道)という陸上の幹線を押さえるための場所だったと考え..
土橋城は、栗山川西岸沿いの南北に伸びた台地先端に築かれています。この地は水陸交通の要衝で、栗山川という水運の幹線と、城下を走る佐原への街道(多古街道)という陸上の幹線を押さえるための場所だったと考えられています。南北朝時代に千葉氏は一族で分裂し、「土橋合戦」といわれる戦いが土橋城で繰り広げられました。現在、 遺構としては薬研の堀や、その堀と食い違いに掘られた堀も確認されており、南北朝の争乱から戦国期へと時代が進む中で堅固な城へと改変されていった土橋城の姿が想像できます。