りゅうぐうじんじゃ
広島県広島市西区草津東1-15-7
社伝によると正応年間頃、甚だしく不漁となり、漁師等が志賀海神社より勧請し小祠を創建して祭祀したところ、豊漁となったという。その後、海浜の埋め立てに連れて社地を沖へ遷し、明治初年以降は現在地に奉斎する..
社伝によると正応年間頃、甚だしく不漁となり、漁師等が志賀海神社より勧請し小祠を創建して祭祀したところ、豊漁となったという。その後、海浜の埋め立てに連れて社地を沖へ遷し、明治初年以降は現在地に奉斎する。昭和十七年の大水害の際には社殿が流出したが、本殿は海辺に流れ着き、翌年拝殿と共に復興された。
三少童命(表津少童命、中津少童命、底津少童命)、三筒男命(表筒男命、中筒男命、底筒男命)
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