林田町大堤に鎮座。大堤は伊勢谷の北端、大津茂川最上部に位置し、慶長検地では高142石余で初め姫路藩領、元和3年(1617)林田藩領となり幕末に至る。伊勢郷土誌によると、大堤村の起因は往古此地の南方を塞ぎ池にしようとしたが、堤防決壊して保たなかった。人を堤中に整理すれば保つとして、通りかかる山伏を捕え生埋にしようとするが失敗。ことの難しきを知り、思いとどまる。この堤跡は近年まで残っていたという。これ村名の起るところで山伏の逃げ込んだ谷を山伏谷、刀の鞘よりぬけ落ちたところを柄田という。また、この地の氏神は祝田神社と記される。
元林田町聖岡に鎮座していたが、藩主建部政長の崇敬厚く貞享5年(1688)本殿を藩主再建、林田領の伊勢村大堤字東山に奉遷すとある。