たかひこねじんじゃ
新潟県長岡市宮内5-6-51
高彦根神社境内の創建は不詳ですが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている都野神社の論社で古くから信仰されてきました。歴代領主や為政者から崇敬庇護され鎌倉時代には初代将..
高彦根神社境内の創建は不詳ですが、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている都野神社の論社で古くから信仰されてきました。歴代領主や為政者から崇敬庇護され鎌倉時代には初代将軍源頼朝から神領三千貫が寄進され社運も隆盛した。天正6年(1578)に春日山城(長野県上越市)の城主上杉謙信が死去すると、後継者争いである御館の乱が勃発、高彦根神社は影虎側に付いたようで乱の兵火により多くの社殿、別当寺院の堂宇も焼失し社領も取り上げられ衰退します。江戸時代に入ると長岡藩(藩庁・長岡城)の藩主から庇護され元和2年(1618)に堀直奇から社領70石が安堵されるとその後の藩主も追認しています。江戸時代までは「一王神社」などと呼ばれていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され、社号を高彦根神社に改称し、明治6年(1873)村社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。 ご祭神は味耜高彦根命。
味耜高彦根命
式内社(小)、旧村社
宮内駅より徒歩5分