おおのみのすくねのみことじんじゃ
鳥取県鳥取市徳尾80
創建は不詳となっていますが、延喜式神明帳に「因幡国高草郡七座大野見宿禰命神社」とあり、又、倭名類聚抄に「因幡国高草郡野見郷」と記されている古社です。 御祭神の大野見宿禰命は天穂日命14世の孫で、垂..
創建は不詳となっていますが、延喜式神明帳に「因幡国高草郡七座大野見宿禰命神社」とあり、又、倭名類聚抄に「因幡国高草郡野見郷」と記されている古社です。 御祭神の大野見宿禰命は天穂日命14世の孫で、垂仁天皇の御代(約2000年前)に出雲国より京に上がり、大和国随一の豪の者・当麻蹴速と力競べを行い、蹴速を倒し殺しました。その跡地が桜井市穴師の相撲神社となっており、日本の国技となった相撲の始まりとされています。これにより宿禰は勇力を賞され、都に留まり朝廷に仕えることになり、相撲の始祖と呼ばれる由縁となりました。 又、この時代には高貴な人が身罷れた時にはお側に仕えていたものを主人の亡骸と共に墳墓に埋める慣わしがありましたが、時の皇后・日葉酢媛命が亡くなられた時、宿禰は人・馬等の土偶を造り共に埋め、生人を埋めない事に改めるよう天皇に言上し、出雲より土師を多数呼び寄せ、種々の土偶を造りました。これが即ち、殉人の代用としての埴輪造りの始まりでした。天皇はこれを賞され宿禰に「鍛地」を与え、土師部の職を定めその長に任命されました。 これにより野見宿禰命は、相撲の守護神、土師部の始祖となりました。
大野見宿禰命
式内社(小)
山陰自動車道「鳥取西IC」より約3km