ちくがんざん ぜんりんじ
神奈川県横浜市金沢区釜利谷東6-40-32
下総東昌寺二世能山聚藝禅師に帰依する初代古河公方足利成氏(しげうじ)は、禅師に、父である第四代関東公方持氏の供養を依頼しました。 これにより禅師は明応2年(1493)5月、先に持氏が創建した釜利..
下総東昌寺二世能山聚藝禅師に帰依する初代古河公方足利成氏(しげうじ)は、禅師に、父である第四代関東公方持氏の供養を依頼しました。 これにより禅師は明応2年(1493)5月、先に持氏が創建した釜利谷の竹嵓山禅林寺に入山しました。 その後、後北条氏、家臣団の江戸衆重役の伊丹三河守永親(いたみみかわのかみながちか)が先祖供養のために禅林寺を再興したと伝えられています。 伊丹氏一族が、江戸浅草寺・江戸城内紅葉山東照宮と関係があって、禅林寺のある坂本村が紅葉山東照宮領となり、禅林寺に東照大権現(徳川家康)の御神影が下賜されました。
竹嵓山(ちくがんざん)
曹洞宗
明応2年 (1493年)
薬師瑠璃光如来
能山聚藝禅師
足利持氏
伊丹三河守永親
竹嵓山 禅林寺
金沢三十四所観音霊場 第17番札所