あさやまはちまんぐう
島根県出雲市松寄下町1103
当宮は品陀和気天皇(応仁天皇)帯中日子天皇(仲哀天皇)息長帯比売命(神功皇后)を主祭神とし、ほかに天照大神ほはじめ十座の神々を合祀してあります。由緒記によれば、創立は光仁天皇の宝亀年間即ち凡そ千二百..
当宮は品陀和気天皇(応仁天皇)帯中日子天皇(仲哀天皇)息長帯比売命(神功皇后)を主祭神とし、ほかに天照大神ほはじめ十座の神々を合祀してあります。由緒記によれば、創立は光仁天皇の宝亀年間即ち凡そ千二百年前に、出雲国に八社八幡を御建立になったその一社で、勧請になった時一夜に松千本が林のごとく生じたので、朝山新松八幡あるいは朝山林八幡とも称せられ、江戸時代になってからは俗に荒木八幡とも呼ばれたことがあり、その創立の古いことは大日本史料・石清水古文書によっても明らかであります。建久3年(795年前)には源頼朝が鎌倉鶴ヶ岡神域の厚朴をもって八幡大神の神像八体を造り、その一体を本社に奉安したと伝えられております。頼朝は当時朝山郷の地頭であった朝山勘解由嘉邑にその祭祀を兼務させましたので、居住地朝山に鎮座の神々を合祀して、白枝の元宮の地に御社殿を移しました。降って朝山出雲権守嘉住は後醍醐天皇が隠岐より還御されると、王政恢復を祈って船上山に馳せ参じ、数度の戦功により聖慮を賜って、社殿を造営し社領を増加され、その後康暦2年に後円融院は社領として朝山郷23ヶ村、15000余石を寄附したまう永宣旨を賜りました。貞享4年(300年前)大梶七兵衛の努力によって高瀬川が完成しましたが、そのため馬場が両断され、地形も変りましたことなどにもより、翌五年の春御社殿・鳥居等を現在地松寄下に移転し、建立修繕及び御祭礼の節には松平藩主より助成金を下し、殊に御遷宮の際には名代をして代拝させることを例とされましたことなど古来より朝廷を始め幕府並びに国守の崇敬の篤かったことは、社蔵古記録によって知ることが出来ます。かっては近郷23ヶ村(松寄下・白枝・浜・横引・天神・渡橋・小山・矢野・中村・大塚・粟津・堀江・菱根・入南・八島・江田・今市・馬木・所原・見々久・野尻・稗原・上朝山)の惣社大氏神として崇敬され、藩政時代になって幣頭として郷内の諸小社を支配しました。毎年の神事式には神事花・獅子舞・流鏑馬・花相撲など幣下の格村々が年番を定めて勤めるなど、祭祀はまことに厳重盛大でありましたが、現在では松寄下町白枝町の全域・島田を除く浜町および下横町の内の横引を氏子区域としその氏神として尊崇されております。例祭日は対象初年から4月20日と改まり、現在も氏子が年番で神事花・獅子舞などの神事式が行われ、古伝祭として御頭祭が古式に則って行われております。
品陀和気命、帯中日子命、息長帯比売命
3月15日 祈年祭 4月29日 例大祭 7月21日 夏祭 10月15日 御頭祭、紐落祭 12月15日 新嘗献穀祭
4月29日 花獅子舞
あり
なし