こいけしんめいじんじゃ
岐阜県不破郡関ケ原町関ヶ原1871-1
当社の創建年紀は不詳なるも、慶長五年九月十五日関ヶ原合戦の際には関ヶ原町大字関ヶ原字西甲斐墓1950番地の丘陵に祀られてあったので、島津維新は陣地としても好適の地であるのでこの神社の境内を本陣となし..
当社の創建年紀は不詳なるも、慶長五年九月十五日関ヶ原合戦の際には関ヶ原町大字関ヶ原字西甲斐墓1950番地の丘陵に祀られてあったので、島津維新は陣地としても好適の地であるのでこの神社の境内を本陣となし、戦勝を祈願し、その前出している清水を軍用水として使ったので、今でもこれを薩摩井戸と称している。嘉永六年火災にあい、都合あて隣地の字神田1874の1番地に移転したが元の礎石は尚薩摩井戸の側に残っている。神田の地名はこの神社の関係地であり、又この神社の西に池寺池と称する関ヶ原役以前からの古い池がある。領主五千石の旗本竹中?」山公の御代藩の養魚場となされたことがあり、度々御視察の際には御参拝且つこの境内でお休みになったと伝えている。惜しい事に慶長以後の棟札が残っていたが、嘉永六年の火災に焼失してしまった。(岐阜県神社庁HPより)
天照大御神 火之迦具土命
10月2日
無し
有り