たけなかしじんやあと
岐阜県不破郡垂井町岩手619-2
竹中氏陣跡及び櫓門 竹中半兵衛重治公没後、嫡男の重門が菩提山城を廃して構えた陣屋の正面である。東側が正面で、大手の間口六間 奥行き三間木造の白壁塗りの櫓門となっている。門の西側に1636坪にわたる陣..
竹中氏陣跡及び櫓門 竹中半兵衛重治公没後、嫡男の重門が菩提山城を廃して構えた陣屋の正面である。東側が正面で、大手の間口六間 奥行き三間木造の白壁塗りの櫓門となっている。門の西側に1636坪にわたる陣屋が形成されていた。櫓門は明治新政府による学制発布により明治14年に現在の岩手小学校の前身である「青我義校」(せいがぎこう)の正門として位置づけられてきた。(青我とは中国最古の「詩経」より有能な人材を育成する校)明治新政府の「幕府建造物破壊令」に対し高橋弥八郎氏が「櫓門は青我学校の正門である」と主張し地元文化財としての存続に尽力され現在に至る。城(陣屋)の門が学校の門になっている学校は全国でも極めて稀で貴重な史跡となっている。
無料
30分
有り
有り(垂井町岩手地区まちづくりセンター)