りょうちじ
島根県松江市玉湯町大谷122
天文元年(1532)洞光寺三世文室恵才大和尚は別所字寺の空に了知寺を創設、元禄元年(1688)八世通山自円和尚は大谷の現在地に了知寺を再建する 寛政7年(1795)十五世正覚眼山和尚は了知寺庫裡を修..
天文元年(1532)洞光寺三世文室恵才大和尚は別所字寺の空に了知寺を創設、元禄元年(1688)八世通山自円和尚は大谷の現在地に了知寺を再建する 寛政7年(1795)十五世正覚眼山和尚は了知寺庫裡を修復再建 天保15年(1844) 十七世聯芳道梅和尚は本堂を再建 昭和35年(1960) 二十三世東開秀禅和尚は本堂の屋根を修復 了知寺は下大谷にあって「雲陽誌」には「禅宗金王山ていう本尊観音」とし「雲州万記録」には了知寺と記し、4間に6間、御免地上畠二反一畝歩、境内十五間に十二間と記した。当寺は藩の産業振興政策等によったものか、当山においとも鑪製鉄事業が計画された。即ち享保元文ごろ(1720)寺の西谷において鑪製鉄事業に着手、幾たびかの試行錯誤の後ついに成功。以後代々の住職は本事業に勢力を傾注し、之による利益をもって寺院の経営にあたり、また檀家・農民の福利に務めた。この事業は江戸末期まで続いたと考えられるが記録等が無いので詳細は不明である。
金王山
曹洞宗
天文元年(1532) 文室恵才大和尚
聖観世音菩薩
無料
15分
有り