平松城は山名川と平久里川に挟まれた丘陵上に築かれました。麓には「池之内」という地名が残り、山名川に向かって南方に口を開けた谷となっています。平松城は安房の豪族安西氏の居城として知られています。治承4年(ll80年)、源頼朝が打倒平家の兵を挙げるも石橋山合戦にて敗北。逃げた頼朝一行は海路にて安房に人りました。その安房入りの際、真っ先に頼朝の元を訪れ、再起を図るために尽力した安西景益が平松城を築いたとの伝承も残りますが、現在残る城の遺構は戦国期のものと思われます。現地には主郭と見られる平場や、腰曲輪、そして櫓台のような人工的に削平された遺構が残っています。安西氏は戦国期には里見氏や北条氏の家臣として取り立てられたとされています。堀や土塁などの明確な遺構は残っていませんが、安房国の古くからの豪族安西氏の拠点としてその名を残す貴重な史跡といえます。