しもいいださばじんじゃ
神奈川県横浜市泉区下飯田町1389
勧請年代は不詳であるが、俚伝には飯田郷の地頭、飯田五郎家義が勧請したといい、小田原北條の時代に下飯田を治めた川上藤兵衛も武運長久の祈願をしたという。また天正18年(1590)に下飯田の領主になった筧..
勧請年代は不詳であるが、俚伝には飯田郷の地頭、飯田五郎家義が勧請したといい、小田原北條の時代に下飯田を治めた川上藤兵衛も武運長久の祈願をしたという。また天正18年(1590)に下飯田の領主になった筧助兵衛(かけいすけひょうえ)為春は、地域の鎮守さまとして信仰し、社殿の修復をしたという。 明治6年に下飯田村の村社に列せられた。また境内林は明治年間に神奈川県の風致保安林に指定され、以来けやき、たぶのき、藪にっけい等の実生で生え、自然に繁茂した樹木が育っている。社殿右手前の銀杏は横浜市の名木古木に指定されている。 またこの近くの神社の近くには鎌倉古道の一つである「上の道」または「西の道」が通っている。
御霊神社の兼務社
左馬頭源ノ義朝
旧村社
9月18日 例祭