神社の起源は不明ですが、吾妻鏡巻一によれば 房総に兵を挙げた源頼朝が治承4年(1180年)10月6日、鎌倉入りする前夜 武蔵より相模に入り、世野郷(瀬谷郷)の相辺沢(あいべざわ)の当神社に一泊し、翌日 郷士相辺沢六郎義氏(よしうじ)・相辺沢七郎義村(よしむら)の案内で、隣村の飯田家義(いえよし)と共に俣野村で大庭三郎景親(かげちか)・俣野五郎景久(かげひさ)兄弟を討ち、鎌倉に向かったとされています。
神社には精巧緻密な彫刻をほどこした総神殿造りの中宮があります。この土台の内部に天保12年(1841)11月1日再建と書かれています。
この中宮は御本殿に納められ、中に御神体を安置してあります。