たいしょうじ
福岡県北九州市八幡東区東台良町19-1
龍興山大正寺は 小倉にあった大隆寺と円照院とい う寺を合併して 大正六年 この地に移して再興され た寺である。 大隆寺は、小倉城主の祖 小笠原忠真公の祖父に当る 小笠原信濃守貞慶公が 天正二十年..
龍興山大正寺は 小倉にあった大隆寺と円照院とい う寺を合併して 大正六年 この地に移して再興され た寺である。 大隆寺は、小倉城主の祖 小笠原忠真公の祖父に当る 小笠原信濃守貞慶公が 天正二十年(一五九二)下總国 古河に菩提寺として建てられた寺であるが 藩の国替え によって飯田 松本 明石と移築され 最後 寛永九年 小倉古船場に建てられた。 一方馬借町にあった円照院は 小笠原忠真公の正室 五姫(徳川家康曾孫)が 六地蔵を安置して地蔵軒と 号したのを二代忠雄公が元禄十年(一六九七)室の 法名にちなんで円照院と改めたものである。 ところが慶応二年 長州と小倉の戦いで両寺共に 灰燼に帰し仏像のみ残り廃寺同然となっていたのを 黒田藩菩提寺博多崇福寺の住職だった渡辺玄外老師 が由緒ある二ケ寺を併せ この地を選んで再建された。 そして寺号を両寺の一字をとって大照寺とすべきを 年号に因んで大正寺と称した。 尚再興に当り福岡城祈念櫓を移して観音堂とされた。 祈念櫓は県文化財に指定されたが福岡城に返還 本丸 礎石の上に昭和五十九年秋 復元された。 大正寺本堂向う側にあったその場所には 昭和六十二年 春 修養堂 通玄庵が建立されている。