さんがじんじゃ
埼玉県久喜市菖蒲町三箇857
三箇村は三ケ村とも記し、地名の起こりは『風土記稿』によれば、明応年間(1492-1501)に社・寺・大蔵の三か所を合わせて一村にしたことによるという。 当社は元来富士浅間社と称し、三箇村の辻に鎮座..
三箇村は三ケ村とも記し、地名の起こりは『風土記稿』によれば、明応年間(1492-1501)に社・寺・大蔵の三か所を合わせて一村にしたことによるという。 当社は元来富士浅間社と称し、三箇村の辻に鎮座した。 当社の創建は伝えられていない。 しかし、江戸後期に富士講の活動が盛んとなり県内に富士山に対する信仰が広まったこと、別当寺の開山が元禄年間からあまりさかのぼらない時期であること、また、村の鎮守は当山ではなく金山明神社であることなどから考え合わせると、当社の創建は江戸中期以降であると推測される。 大正二年には金山明神社をはじめとして地内に祀られていた二五社を合祀して、 これを機に社名を三箇神社と改めた。 「埼玉の神社・埼玉県神社庁発行」より
木花咲耶姫命