当社の社伝によれば「往古より社地に大岩あり、其の岩の傍らに出雲大明神と称する祠あり、早田太夫(だゆう)なる者、承正年中迄奉祀す。天正年中大己貴命を祭神とし社殿を建立したるも同年中、戦国時代の兵乱に逢い社殿古記録等焼失す」とあり按ずるに当社は約二千年程前に此の地に住み着いた人達によって此の大岩に神を迎えて祭った磐座祭祀で最古の神社形式で廣峯神社と同じ出雲系の部族によって祭られたものと思う。
祭神も大己貴命(大国主命の同一神)で廣峯神社の御子である。大明神と云う神号は鎌倉時代以降のもので承正と云う年号は無い。仮に承久と定めるが早田太夫とある太夫名は室町時代から一般に使用されたと思われる。よって右社伝は正確とは云いがたい。然し天正年中(1573〜1591年)社殿を建立したのは確かであろう。それ迄は社殿は無かったのではないか。兵火に逢い、後、再建され明治迄は出雲大明神と称し明治3(1870)年、出雲神社と改称、明治6(1873)年6月、村社に列格、昭和4(1929)年、現在の立派な社殿に大改築された。(社殿掲示の由緒書きより)