こうぜんじ
愛知県犬山市羽黒字城屋敷16
承安4年(1174年)、梶原景時によって興禅寺山(羽黒の西方450m)の地に真言宗の寺院・妙国山光善寺として創建された。 文明11年(1479年)、天関宗鶚禅師によって臨済宗妙心寺派に改宗されると..
承安4年(1174年)、梶原景時によって興禅寺山(羽黒の西方450m)の地に真言宗の寺院・妙国山光善寺として創建された。 文明11年(1479年)、天関宗鶚禅師によって臨済宗妙心寺派に改宗されると同時に、興禅寺と改称した。宗鶚禅師は妙心寺聖沢派の開祖・東陽英朝禅師を勧請開山とした。 天正12年(1584年)に起きた小牧・長久手の戦いでは、兵火に遭ってすべての伽藍を焼失した。慶長7年(1702年)に18代犬山城主・小笠原和泉守吉次によって羽黒城があった現在地を3千坪の寺地として与えられ、移転のうえ再興された。 現庫裡は文政13年(1830年)に再建されたもので、平成15年(2003年)に国登録有形文化財の指定を受けている。 現本堂は明治13年(1880)に着工し、竹中藤右衛門一門の手によって18年の歳月をかけて完成されたもので、庫裏に引き続き3年後に国指定登録有形文化財となった。
妙国山
臨済宗
臨済宗妙心寺派
1174年(承安4年)
釈迦如来
梶原景時
1479年(文明11年)
天関宗鶚
妙国山興禅寺
光明廿一大師第1番札所
興禅寺庫裏 興禅寺本堂 (以上国指定登録有形文化財)
有り(境内東)