しんめいじんじゃ(しんめいこうだいじんぐう)
京都府宇治市宇治神明宮西35
白鳳三年四月(674)天武天皇の詔により、栗子山に神殿を造営、市杵嶋比売命を祭神として神明神社と称えられたのが起源とされる。 桓武天皇延暦十三年(794)都を平安京に遷され、当地が都の巽に当たるの..
白鳳三年四月(674)天武天皇の詔により、栗子山に神殿を造営、市杵嶋比売命を祭神として神明神社と称えられたのが起源とされる。 桓武天皇延暦十三年(794)都を平安京に遷され、当地が都の巽に当たるので伊勢皇大神宮を勧請この地を宇治と号し屡々行幸された。その後延喜四年(904)醍醐天皇の詔により新たに社殿を造営、伊勢内・外皇大神宮及び雨宮・風宮。稲倉魂命の御分霊を祭り歴代天皇が行幸されたが、南北朝の争い等により社殿は大破する等したので、康和元年四月(1099)に現在地の洛南の景勝地であった神明山に移されたが、たび重なる兵乱により神領は減少し現代に及んでいる。 境内には、宇治市名木のしゃしゃんぼ及び椎の大木が昔の名残を止めている。また、山崎の合戦に敗れた明智光秀が山階に逃れる途次隠れたと言伝えのある古井戸を藻隱池と称し現存している。
近鉄大久保駅から宇治バス「神明」下車 JR宇治駅から宇治バス「神明」下車
無料
有り