江戸時代には日吉権現とよばれたが(寛政五年正月」郷内小宮遷宮定書」笛吹・持田篤文文書)明治三年(1870)には熊野祠と称され、祭神は大山咋命・伊弉冊命・宇賀御魂命の三神であった(「和州忍海郡笛吹社氏子農枝社御神名并社記録」笛吹・持田篤文文書)。
同七年になると、社名は熊野祠のままだが祭神は伊弉冊命一神になった(「郷村社取調帳」奈良図書館所蔵文書)。
そして、明治十二年には社名が三神社とかわり、祭神も大山咋命・伊弉冊命の明治三年時の二神に、あらたに豊受姫命が加わり三神となった。
境内社に稲荷神社が書き上げられているが、宇賀御魂命は姿を消してしまった。(「神社明細帳」奈良図書館所蔵文書)。
〜ネットの資料から