一、慶長九年五月再興従前より村社たり。明治十二年六月郷社格の公許を得たり。二、郷社万神社公卿字四之坪鎮守。祭神豊受姫大神、勧請年月不詳。慶長九年五月再興の棟札あり。明治十二年六月郷社に列す。境内には八幡神社慶長九年再興。斉宮神社、慶長九年勧請、神明神社、天満神社、慶長九年再興あり。
三、古老伝へて曰く、往古清和天皇の御宇貞観年代畏くも人名不詳なれども御公卿下向被在此の地。御住居の際宮殿建築崇敬続いて七堂伽藍をも建立完備せり。爾来当地方名付けて公卿の庄と云ふ。今に伝承し居れり。
四、その後永禄年度中織田信長の為に亦幸にも惜哉焼失せり。その後慶長九年五月十日牧村、右平、藤原朝臣光勝再興の宮殿御門今猶存す。
五、往古公領にして米印賜り、亦国司御派遣御参拝あらせらるると献額一面唯か所以不詳なれども、往古より之有と伝承し、今猶存在す。寛永十一年の夏加藤平門公の領、安八郡西結村と公領の孝村換地に相成爾来光規に依り毎年御参拝祈願被在最も崇敬せられ、亦修繕の際は幾許金貨をも御寄付せられたり。祭神豊受姫大明神。八百萬神合祀せり。末社五社あり。即ち春日大神、八幡大神、天満大神、豊鍬八姫大神、市杵島姫神を祀れり。
六、本社御門、拝殿その他付属物華表完備し、公卿、島部、八木、天神、杉野の五ヶ村総代氏子にして約三百余戸あり。最上崇敬厚き神社なり。以下略