あなまこうしょうじべついん
愛知県犬山市郷西85
鎌倉時代後期、美濃国と越前国との境に位置する地に三河の和田門徒の流れをくむ如導・信性等によって浄土真宗が伝えられた。その後在家信徒らによっていくつかの道場が建てられ、教えが広められた。その拠点となっ..
鎌倉時代後期、美濃国と越前国との境に位置する地に三河の和田門徒の流れをくむ如導・信性等によって浄土真宗が伝えられた。その後在家信徒らによっていくつかの道場が建てられ、教えが広められた。その拠点となったのが、穴馬下半原・荷暮・大谷などの六ヶ村と、美濃の大間見等の三ヶ村を合わせた「興門九ヶ同行」と呼ばれる興正寺直門徒集団であった。このうちひとつが越前国大野郡穴馬郷下半原(現・福井県大野市泉村)にあった下半原道場である。 明治9年(1876年)、興正寺が西本願寺率いる浄土真宗本願寺派から分派独立すると、「興門九ヶ同行」のうち下半原60戸と大谷40戸が興正寺門徒となった。これ以後、下半原・大谷同行を中心に下半原道場は発展し、本山出張所を経て、昭和28年(1953年)に穴馬興正寺別院となった。 昭和42年(1967年)、九頭竜川の長野ダム建設に伴う集落水没により、穴馬興正寺別院は現在へ移築・移転された。
浄土真宗
真宗興正派
本山別院
阿弥陀如来