この地にはかつて、聖徳太子が創建したと伝わる向陽山瑞光寺(瑞光廃寺)があった。
昭和25年(1950年)、真誠院日長(昭和29年1月12日没)が当地に瑞光廃寺があったのを知り、村民に無縁霊の供養をもちかけた。 住民の山中光次は日長を迎えるため小堂の建立を開始したが、日長は完成を見ずに没した。
昭和30年(1955年)5月3日、堂の完成などに伴って結社として発足し、10年後に寺号公称に至った。
山号は廃寺の名からつけられた。また、寺号は墓地から朱棺が発掘され、その棺に書かれていた法号・領善院殿梅林日道により名付けた。開山(初代住職)は義永妙清尼である。