つうほうじあと
大阪府羽曳野市通法寺41番地12
長久四年(1043)河内国司であった源頼信の子である源頼義が狩りの際、焼けた堂の中に千手観音像を見つけ、これを吉縁として本尊とする堂を建立して『壺井堂』と名付け、また新たに阿弥陀如来像をも合わせて本..
長久四年(1043)河内国司であった源頼信の子である源頼義が狩りの際、焼けた堂の中に千手観音像を見つけ、これを吉縁として本尊とする堂を建立して『壺井堂』と名付け、また新たに阿弥陀如来像をも合わせて本尊とする堂を建立したのが通法寺の始まりとされております。 前九年の役後に頼義は浄土宗に帰依しており、それ以降は河内源氏の菩提寺として栄えました。 南北朝時代に戦火により焼失し、長らく再建されませんでしたが、江戸時代になって摂津多田源氏の末裔である多田義直が江戸幕府に再建を願い出て、柳沢吉保らが普請奉行となりようやく再興されることとなりました。 しかし明治元年(1868)に廃仏毀釈により廃寺となりました。 昭和三十二年(1957)、河内源氏の形成発展する様相を示すものとして、源頼信・頼義・義家三代の墓を含めて、文化財保護法に基づき国指定史跡とされました。 現在は本堂跡の礎石の他、建造物の遺構として山門、鐘楼が残り、旧境内地西端の観音堂跡には源頼義の墓もあります。
近鉄長野線 喜志駅からバスを利用。 金剛バス太子線『上ノ太子行き』 喜志循環線『太子廻り循環』または『葉室廻り循環』 阪南線『府立近つ飛鳥博物館前行き』 以上のいずれかに乗車し『太子四ツ辻』バス停下車、徒歩約15分。
見学自由
無料
約20分
あり