なんようじあと
福井県福井市城戸ノ内町
南陽寺は朝倉氏三代目当主の朝倉氏景の妻、天心清祐大姉が建立したのが始まり。その後、九代目当主(戦国三代目)朝倉貞景が再興した。朝倉代々の女性が尼として居住し、当時は多くの建物が立ち並び「金碧奪目」と..
南陽寺は朝倉氏三代目当主の朝倉氏景の妻、天心清祐大姉が建立したのが始まり。その後、九代目当主(戦国三代目)朝倉貞景が再興した。朝倉代々の女性が尼として居住し、当時は多くの建物が立ち並び「金碧奪目」と呼ばれるほどの豪華さを誇った。1568年(永禄11)3月に朝倉義景は南陽寺に足利義昭(当時は義秋)を招いての宴が行われ、歌会を催した記録がある。しかし織田信長の侵攻により朝倉氏は滅亡。一乗谷は灰燼に帰し、南陽寺も現在では庭園の一部が残るのみとなっている。
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