きよかわじんじゃ
山形県東田川郡庄内町清川上川原37
清河八郎正明は、幕末明治維新において尊王討幕最大の先駆をなした偉傑であり、明治維新史の壁頭に揚げられるべきであったが、清河八郎が余り世に知られず、正四位を贈られたのは、明治四十一年でそれは没後四十五..
清河八郎正明は、幕末明治維新において尊王討幕最大の先駆をなした偉傑であり、明治維新史の壁頭に揚げられるべきであったが、清河八郎が余り世に知られず、正四位を贈られたのは、明治四十一年でそれは没後四十五年に当たる。 清河八郎のなさんとするところは、飽くまでも尊王攘夷による国家革新であったので、幕府は暗殺の策を講じ、文久三年四月十三日に幕府により暗殺される。三十四歳である。 遺体は山岡鉄舟などの同志によって、小石川の伝通院に葬られたが、明治二年清川歓喜寺に分骨改葬。没後二十八年にして霊を靖国神社に合祀され、明治四十一年特旨をもって正四位を贈られ、明治四十五年に東京・清川で五十年祭を盛大に行う。 大正十五年内務省より清河神社創建の認可を得、昭和八年五月三十日社殿竣工となる。
正四位清河八郎正明
十二級社 旧郷社
昭和8年
本殿五坪 拝殿二十一坪
五月三十日(五月五日)
無料
有り