たいねいじ
神奈川県横浜市金沢区片吹61−5
伝説によると、源範頼は修禅寺を脱出し、浦郷鉈切(横須賀市)に逃れたが、鎌倉に知られるところとなり、当時瀬ヶ崎にあった太寧寺で自害したのだという。
太寧寺は、範頼が瀬ヶ崎に創建した薬師寺を前身..
太寧寺は、範頼が瀬ヶ崎に創建した薬師寺を前身としているといわれ、薬師寺が称名寺門前に移転(現在の薬王寺)した後、薬師寺跡に太寧寺が建てられたのだという。
太寧寺という寺名は、範頼の法名「太寧寺殿」によるもの。
太寧寺には範頼の位牌が残され、『新編鎌倉志』によると薬王寺の住持が年号月日を書きつけたものなのだという。
海藏山
臨済宗建長寺派
鎌倉時代
薬師如来
大興禅師(たいこうぜんじ)
源 範頼(みなもとののりより)
伝源範頼の墓 木造薬師如来立像 木造日光・月光菩薩立像(横浜市指定有形文化財)
京急線「金沢文庫」駅より徒歩15分
無料
なし