しょうねんじ
山形県村山市大槇1671-10
宝鏡寺建立の約187年前の永仁2(1294)年、長善寺上野地区(現戸沢小学校敷地の南西面)に大白山松念寺が創建されています。松念寺は白鳥宮下地区に居館をもつ白鳥氏の菩提寺といわれています。一説には白..
宝鏡寺建立の約187年前の永仁2(1294)年、長善寺上野地区(現戸沢小学校敷地の南西面)に大白山松念寺が創建されています。松念寺は白鳥宮下地区に居館をもつ白鳥氏の菩提寺といわれています。一説には白鳥氏の女人達の菩提寺といわれ、不文明ですがいずれにしても白鳥氏と深い関わりがあることは確かです。松念寺は元禄元(1688)年本堂が焼失し、享保2(1717)年再建されましたが、昭和39(1964)年再び火災に遭い、貴重な資科・遺物が失われてしまったことは誠に残念でなりません。白鳥氏が白鳥宮下郷の土豪でしたか、あるいは何処からか移り住んだ武将かは判然としません。県史では白鳥の豪族だったと記していますし、谷地町誌では奥州安倍氏の一族行任の末裔でないかと記しています。一説には寒河江の大江一族でないか、あるいは谷地の中条氏の一族とするものもあって、その出自は極めて不明確です。しかし、白鳥宮下郷に居館をもち、居館の南方の舌状台地鍋倉に白鳥城を築き、柏木森・鳥屋森・毛倉森の山城(出城)を作り、更に碁点の楯を造成してから谷地(現河北町)に進出して谷地城を完成し、織田信長と親交を結んで最上義光(山形城主)の逆鱗にふれ、天正12(1584)年山形城において誘殺され滅ぼされた武将である、ということは史実のようです。昭和7(1932)年6月8日の山形新聞の記事に「五月雨煙るきのふ白鳥十郎の供養式」のみだしで、河北町谷地の家臣団が「血染めの桜」の前で武将の霊を弔ったことが出ています。(大槙村史誌 平成14年 髙橋欣二先生資料より)
大白山
乗蓮院
浄土宗
1294年
阿弥陀如来
大白山乗蓮院松念寺