いわおじんじゃ
山形県最上郡大蔵村赤松上野1663−2
赤松部落の開発は文明年間と伝えられ、比良部落の一隅に祀られた当社を戦乱の頃大蔵城主清水孫次郎満久が戦勝の祈願所とし、通称カブトの明神として広く他地方よりもの参拝者があったという。戦に敗れ落城の後は寛..
赤松部落の開発は文明年間と伝えられ、比良部落の一隅に祀られた当社を戦乱の頃大蔵城主清水孫次郎満久が戦勝の祈願所とし、通称カブトの明神として広く他地方よりもの参拝者があったという。戦に敗れ落城の後は寛永二年八月一日比良部落より現在地に遷座されたという。明治六年九月十三日村社に列せられる。
大巳貴命
十四級社 旧村社
九月一日