しょういんじ
山形県新庄市下金沢町8−5
今から四百年ほど前、寛永二年(一六二五)、良本上人(りょうほんしょうにん)によって開山されました。
戸沢藩初代政盛公が常州松岡(現茨城県高萩市)から羽州新庄に転封された時、同行した上人が沼田..
戸沢藩初代政盛公が常州松岡(現茨城県高萩市)から羽州新庄に転封された時、同行した上人が沼田城築城の残木を賜り、現在地に接引寺を建立し、羽州街道の南の備えとしました。また、接引寺のこの「接引」とは「どんな人をも最期は極楽浄土にお連れする。」という仏教の意味をもつそうです。
御本尊阿弥陀如来は、もともと真室川町木の下の長林寺に祀られていたのですが、願い出により政盛公が許可し、以来接引寺の御本尊になったと伝えられています。元禄時代に興隆を極めますが、明治三十七年(一九〇四)失火により本堂等が全焼、御本尊阿弥陀如来、脇侍の観音・勢至両菩薩、鐘楼、それに歴代過去帳の一部は消失をまぬがれました。
現在の本堂は明治四十二年(一九〇九)に再建され、昭和五十年代以降、位牌堂、庫裡、客殿、鐘楼堂等が改築、建設され現在に至っています。
助雲山
松岡院
浄土宗
1625年
阿弥陀如来
良本上人
新庄地廻三十三観音 第八番
観音菩薩 勢至菩薩 阿弥陀三尊 市指定文化財
JR新庄駅から徒歩10分位
無料
有り