うえきじんじゃ
三重県伊賀市平田 699
慶長二酉年四月植木伊予守勝記す初期の社伝に曰く「人皇六六代一条天皇寛弘元年(1004)出雲国意宇郡日御崎の住人桃木某三男政守と云ふ人諸国神拝遊歴し此里に止り或夜夢に神告て曰く、播磨国飾磨郡広峰山より..
慶長二酉年四月植木伊予守勝記す初期の社伝に曰く「人皇六六代一条天皇寛弘元年(1004)出雲国意宇郡日御崎の住人桃木某三男政守と云ふ人諸国神拝遊歴し此里に止り或夜夢に神告て曰く、播磨国飾磨郡広峰山より牛頭天王を仰奉れば今流行の悪疫速に除き給ふと郷人聞きて直ちに広峰山へ登り天王を迎ひ寛弘元年九月九日■出後氏天王を玉手村清水谷鳥取神社の相殿に奉勧請す」と又、文永二年(1265)四月八日の洪水の後鎮座地の争いがあった際にも「神前にある枯榊を執り所々の土中へさして神意を伺い此の枯榊一夜の中に青葉を生する所へ定めんと誓ひ給ふに不思議や山田神社の地へ指し奉る枯榊一夜の中に枝葉青々と栄へければ神慮の導き事を奉恐迅に宮地を改宮柱太敷立て如故鳥坂神社と合祭に奉斎一夜にして枯榊の枝葉茂りし神力を尊み以て植木牛頭天王と改称し奉り」と記され、更に天正年中北畠中将信雄郷伊賀国兵乱の際に神霊を存するのみにて社頭悉皆炎滅したが、その後郷人力を合せて慶長二年(1597)に元の宮地へ復興した旨記している。明治二年御府告により牛頭天王■郷を廃し植木神社と改称し明治四〇年同四一年に平田神社など三〇社を合祀している。伊賀最古で最大の祇園祭(夏祭り)7月最終土・日曜日
健速須佐之男命、櫛名田毘売命 他
郷社、式内社(小)論社
寛弘元年(1004年)
祇園祭(夏祭り)〜7月最終土・日曜日
随時
無料
約15分
有り