がんぞうじ
佐賀県小城市小城町岩蔵2349
岩蔵寺は由来記によると、 延暦22年(803)、桓武天皇の勅命により比叡山西谷の聖命上人が下向して創建したと伝える。 宗派天台宗である。 岩蔵寺の創建によってこれまでこの地一帯を高隈の里と称してい..
岩蔵寺は由来記によると、 延暦22年(803)、桓武天皇の勅命により比叡山西谷の聖命上人が下向して創建したと伝える。 宗派天台宗である。 岩蔵寺の創建によってこれまでこの地一帯を高隈の里と称していたが寺名に因んで岩蔵と改称したという。 その後一時衰退したが、 建久3年(1192)に後鳥羽上皇の勅命により葉上僧正栄西が延暦寺より下向して 岩蔵寺を再興したという。 この時に清水山見瀧寺などと共に、 比叡山の横川、東塔、西塔をまねて「三塔千坊」の規模で再興された。 三塔としては東塔に岩蔵寺、西塔に花園、横川に清水山をおいたとする。 花園の位置がはっきりしない。 岩蔵寺に三寺として浄土寺、東楽寺、如法寺があった。 浄土寺においては如法経会が行われた。 寺僧が法会を行い、多久の桐野山の衆徒が音楽を担当したという。 また、曽我兄弟の郎党である鬼王・駄三郎も虎御前(大磯の虎)とともに参会して曽我兄弟の菩提を弔ったという。 弔っているとき祐成、時致の霊があらわれて座したという「殿の腰掛石」の伝説もある。 戦国時代の動乱期に岩蔵寺は兵火で焼け荒廃したが、鍋島直茂によって天正18年(1590)再興され、 江戸時代には小城藩の祈願所となっている。 また、小城藩士の集会は必ずこの寺で行われたという。
雲海山
天台宗
境内に駐車可