当山の創建は慶長8年(1603)、時の領主宇喜田土佐ノ守秀正公によるものであります。 その子秀景が身延山第二十一世寂照院日乾聖人に帰して出家し、實性院日秀と号し、妙應寺開山となる。 以後約百数年、法運大いに栄えていたが、正徳5年8月15日に出火し、全山ことごとく灰に帰す。
現在の地に小宇を建て本尊を安置し、再興の時を待つ。いよいよ再興しようとする時、当地一体大雨・河川の氾濫により、材木ことごとく流され不可能となる。 これにより檀家約1/3になり、明治・大正・昭和と苦難の時代を送る。 現在の本堂は、平成5年に第二十八世本慈院日厳上人の代に建立し今に至る。
また、本慈院日厳上人は岡山市北区津倉町に布教所を開設し、平成元年に妙應寺津倉稲荷別院として寺観を新たにした。 現在は、第二十九世本壽院日啓が、和気妙應寺と岡山津倉稲荷別院を管理しています。