徃古この地一帯は安良の里、または安良郡ともよばれていた。栄花物語に引く長和元年大嘗会歌にも「もろ人の願ふ心の近江なる安良の里の安らけくして」とあり、また近江国注進風土記(山槐記元暦元年)にも「安良郡 栗太」とみえている。
明細書によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると文武天皇の慶雲元年に牛頭天皇が、この地に降臨された、時の国司がすぐ天皇に奏聞し、この地に神籬をたてて祀り、国土安泰・疫病退散・五穀豊穣を祈った。これが当社の創立と考えられる。
又後村上天皇の興国五年に鈴鹿より速佐須良比口羊・天満天神の二柱の神霊を合祀されたと伝える。永禄年間に野村丹後守高家が参籠し武運長久・子孫繁栄を祈り社殿を修造した。その後野村国書之助がこの地に移り社を守った記憶がある。
明治九年村社に加列。(滋賀県神社庁HPより)