にっしょうじ
山形県新庄市若葉町13−20
開山開基の発願人・伊藤フミ(是真院開顕妙文法 尼)の信仰に端を発する。法尼はお題目の信仰を深 め、大正二年、尾花沢・常信寺の聖徒となる。後、米沢・日朝寺で修行して生家に戻り、一寺建立の誓願 を興して..
開山開基の発願人・伊藤フミ(是真院開顕妙文法 尼)の信仰に端を発する。法尼はお題目の信仰を深 め、大正二年、尾花沢・常信寺の聖徒となる。後、米沢・日朝寺で修行して生家に戻り、一寺建立の誓願 を興して教線を拡張、昭和四年、信徒とともに前身 の石川教会所が設置認可された。様々な困難あるも 昭和十九年、現在の地に最上地方開教の寺院として 開山し、総本山久遠寺法主猊下より『光榮山・日照寺』の山号寺号を賜る。
第三世代に寺観を整え、第四世代に新たに檀信徒 会館並びに位牌堂、庫裡の建立を企図し、第五世・相 馬義康上人の代に見事落慶寺観を一新して現在に 至る。
光榮山
日蓮宗
久遠実成本師釈迦牟尼仏
有り