かわまたじんじゃ
三重県鈴鹿市庄野町 12-27
社名「川俣」の起こりは、社伝によれば往古鈴鹿川は庄野の地で二分し伊勢湾に流れ込んでおり、その二分された川俣の地に当社を斎き祀ったことから川俣の社名が冠せられたと伝えられている。しかし、川俣はさらに川..
社名「川俣」の起こりは、社伝によれば往古鈴鹿川は庄野の地で二分し伊勢湾に流れ込んでおり、その二分された川俣の地に当社を斎き祀ったことから川俣の社名が冠せられたと伝えられている。しかし、川俣はさらに川俣氏族により奉斎された神社である点も忘れることができない。近世には貴船社として『三国地志』にあげられていたが、村と共にこの貴船社を移転したとも伝へられており、本社についての近所の史料は乏しい。明治四〇年(一九〇七)、庄野村の川俣神社地七社、汲川原村の三社を庄野村大国神社へ合祀の上、川俣神社と単称して今に至っている。
大國主神 大彦神 建速須佐之男命