かわまたじんじゃ
三重県鈴鹿市和泉町 213
延喜式内社である本社の創始については詳かにし難いが、江戸時代の地誌類は八王子社と称している。しかし和泉町の位置が鈴鹿川の本流と出合うところにあり、川俣神社の名がでたものと思われる。此社鑰取別当は当村..
延喜式内社である本社の創始については詳かにし難いが、江戸時代の地誌類は八王子社と称している。しかし和泉町の位置が鈴鹿川の本流と出合うところにあり、川俣神社の名がでたものと思われる。此社鑰取別当は当村舟井山泉福寺住職で、近世末迄は同寺が管理にあたっていた。明治四十一年(1908)四月井田川村各地に鎮座の諸社を合祀するに至った。昭和二十六年三月、各村の氏子の総意により中冨田、西富田の川俣神社等を分祀し現在に至っている。
大穴牟遅命 市杵島比賣命 久那斗神