わだやまじょう
石川県能美市和田町
永正3年(1506年)和田坊超勝寺によって築かれたと云われる。 天正年間(1573年~1592年)に越前一向一揆を敗り加賀国に侵攻した織田軍により平定され、北庄城の柴田勝家の部将安井家清(左近)が..
永正3年(1506年)和田坊超勝寺によって築かれたと云われる。 天正年間(1573年~1592年)に越前一向一揆を敗り加賀国に侵攻した織田軍により平定され、北庄城の柴田勝家の部将安井家清(左近)が城主となった。 比高30mほどの低丘陵南端にあり、国指定史跡となっている和田山・末寺山古墳群の一角に築かれている。 主郭は南端にある中央に和田山9号古墳を残す形で周囲に土塁を巡らせた曲輪となる。虎口は西端にあり、スロープ構造で北へ続いて二郭に通じる。 二郭の北端も古墳を用いた櫓台構造となり、北から東側にかけて巨大な空堀を巡らせ、外側に土橋状の通路を残す。 二郭の虎口は東にあり、空堀外側の土橋状通路と東麓に降りるルートがある。