きつきじんじゃ
大分県玖珠郡玖珠町大隈1243
縁起書によると、養老2年(718年)に出雲國の杵築大社(きづきのおほやしろ)【現:出雲大社】から神速素佐之男命と稲田姫之命の御分霊を勧請し、「祇園社」と称してお奉りしたのがはじまりだといいます。(..
縁起書によると、養老2年(718年)に出雲國の杵築大社(きづきのおほやしろ)【現:出雲大社】から神速素佐之男命と稲田姫之命の御分霊を勧請し、「祇園社」と称してお奉りしたのがはじまりだといいます。(出雲大社の主祭神は大国主大神ですが、中世、神仏習合の影響で鎌倉時代から天台宗の鰐淵寺が杵築大社(出雲大社)の神宮寺も兼ねており、その鰐淵寺を中心とした縁起(中世出雲神話)では、出雲の国引き・国造りの神を素戔嗚尊としていたことから、中世は素戔嗚尊が主祭神であったとされ、寛文6年(1666年)毛利綱広が寄進した銅鳥居の銘文には「素戔嗚尊者雲陽大社神也」と刻まれているそうです。) その後の天延3年(975年)に、豐後國大分郡賀来の善神王宮【現:賀来神社】から武内宿禰命が合祀され、社号を「亀都起神社」と改めたといいます。 また、境内の社殿裏手には、6世紀のものとされる「亀都起古墳」があります。
神速素佐之男命
有り