いいじましんでんいなりじんじゃ
埼玉県比企郡吉見町飯島新田563
正保年間から元禄年間にかけて(1644-1688年)開墾された飯島新田の鎮守として飯島惣左衛門が、耕地の安泰を祈って奉斎した。 昭和初年までは、当地は幾度となく洪水に見舞われ、市野川の堤に近い当社..
正保年間から元禄年間にかけて(1644-1688年)開墾された飯島新田の鎮守として飯島惣左衛門が、耕地の安泰を祈って奉斎した。 昭和初年までは、当地は幾度となく洪水に見舞われ、市野川の堤に近い当社境内に濁流が押し寄せることも度々あった。そのため、社殿は水害を避けるために水塚の上に築かれている。また、水塚の前には水神や弁財天の石祠も祀られており、境内東側のホウダンボ沼(平成2年に埋め立て)の傍らで水神祭が毎年7月25日に行われる。
正保年間から元禄年間にかけて(1644-1688年)開墾された飯島新田の鎮守として飯島惣左衛門が、耕地の安泰を祈って奉斎した。
倉稲魂命
7月25日(水神祭)
なし