たてわきじんじゃ
福島県伊達郡川俣町鶴沢宮37
祭神は大己貴命 (大国主神) と源義平。 元は村の郷士が氏神として祀ったという大己貴神社。 応保2年 (1162)、源義平の家臣である三浦義久が当村に訪れ、 携えてきた亡き主君の甲冑を御霊代として合..
祭神は大己貴命 (大国主神) と源義平。 元は村の郷士が氏神として祀ったという大己貴神社。 応保2年 (1162)、源義平の家臣である三浦義久が当村に訪れ、 携えてきた亡き主君の甲冑を御霊代として合祀。 以後、甲大明神と呼称されるようになった。 江戸時代、徳川家の代替わり毎に行われた、 諸国巡見使の巡拝奉幣所のひとつになっていたそうです。 明治2年に現在の社名に変更。 何故、楯和気という社名になったかはよく分かりません。
源義平について少し。 源氏の棟梁である源義朝の嫡男であり、勇猛で知られたそうです。 平治の乱 (1159) のとき義朝は平清盛に敗れ、源氏一行は東国へ逃れようとする。 しかし翌年の永暦元年、義朝は尾張にて旧臣の長田忠致に殺され、三男の頼朝は捕らえられる。 そして遂に義平も捕まり、京の六条河原にて斬首。 家臣の三浦義久は、義平の首級を奪おうとしたが果たせず、 平家の眼を逃れて奥州へ下り、当社にて義平の御霊代を祀ったと伝わるそうです。 (境内由緒書参照)
大己貴命 事代主命 源義平御霊代
旧村社