おとうじんじゃ
宮崎県延岡市北川町川内名
文武両道の名将で佐伯藩主の佐伯惟治(これはる)公は、豊後守護職であった大友宗麟(そうりん)の父・義鑑(よしあき)に対する謀反の疑いをかけられ、1527(大永7)年11月、延岡市北浦町三川内の尾高智山..
文武両道の名将で佐伯藩主の佐伯惟治(これはる)公は、豊後守護職であった大友宗麟(そうりん)の父・義鑑(よしあき)に対する謀反の疑いをかけられ、1527(大永7)年11月、延岡市北浦町三川内の尾高智山で自害。家臣は惟治公の首を敵に渡さぬよう山道を逃げていたが、瀬口地区の宝泉寺(ほうせんじ)で休憩した際、首がその場から動かなくなったという。そのため、同所で住職が供養し、以来、御頭大明神として祭られるようになったとされている。
佐伯惟治(これはる)公
おとうさま
大祭毎年1月15日