さかふねいしいせき
奈良県高市郡明日香村岡
酒船石遺跡は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡。 以前から知られている酒船石に加えて、平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築など..
酒船石遺跡は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる遺跡。 以前から知られている酒船石に加えて、平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ぶようになった。 【酒船石】 小高い丘の上にある花崗岩の石造物。主軸はほぼ東西で、現存の長さ約5.5メートル、幅(南北)約2.3メートル、厚さ約1メートルであるが、北と南の一部が欠けている。上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。円形・楕円の深さ約10センチメートルで六カ所有る。中央は長楕円形で、長さ1.35メートル、幅70センチメートルである。各くぼみは溝で繋がっており、主軸上を通る溝は幅10センチメートル、深さ3センチメートル、断面はU字形に彫られている。江戸時代から多くの仮説が唱えられ、酒を造る設備、あるいは薬などを造るための設備ともされ、諸説あるが定かではない。1935年(昭和10年)に岡の酒船石から南10メートルほどの箇所で石の樋説もある車石も見つかっていることから庭園の施設とも言われている[4]。また古代の流体素子であったという説もある。後世江戸時代に高取城を築城するため石垣用の石材として利用しようとしたと思われる石割用の石鑿の跡が見られ、上面の造形が欠損している。1927年(昭和2年)4月8日、国の史跡に指定された。 【亀形石造物・小判形石造物】 平成4年(1992年)に酒船石の北の斜面で石垣が発見され、『日本書紀』の斉明天皇の時代に記述される工事に該当する遺跡と推測されている。記述中の、田身の山に観を起て「両槻宮」と号し「宮の東の山に石を累ねて垣とす。」に関係した遺跡とされている。その後平成12年(2000年)に大規模な発掘が行われ、砂岩でできた湧水設備とそれに続く形で小判形石造物と亀形石造物が発見された。これら2つは水槽になっており湧水設備からの水を溜めたと推定される。湧水設備は、中央に砂岩の切石を11段内部に空間のある□形に積み上げた取水塔があり、最上段の北側には凹形の取水口があり、その周囲を砂岩石垣で取り囲んでいる。底部を砂岩と粘土で密閉し、取水塔内を水が上がり取水口から水が出る巧みな形式である。湧水施設は1期は5段、2期には10段の高さに積み増している。これで、亀形石槽・船形石槽も現在の高さ・位置に据え直されている。石敷は約12m四方で、周囲は西南を高い尾根に囲まれ、その斜面は赤みのある砂岩石垣で覆われていた。石敷上からの視覚は真上の空だけで、狭く大きな宴が行われる広さではなく、この場所は極めて閉鎖的で人工的な空間である。(Wikipediaより一部引用)
近鉄「橿原神宮前」駅東口または「飛鳥」駅より奈良交通明日香周遊バス乗車。「万葉文化館西口」下車すぐ
・9:00~17:00(最終入場16:45) ・12月~2月 9:00~16:00(最終入場15:45)
亀形石造物:文化財保存協力金大人300円、子供100円