かこまちじぞうそんどう
広島県広島市中区住吉町5-10
遠い昔にインドから隠岐島に伝来したと言われる「顎(あご)なし地蔵」を浅野藩時代(1619~1871)に水主(船頭)が、大河から浅野家の紋所のある提灯と共に水主町(現広島市中区羽衣町付近)に持ち込み..
遠い昔にインドから隠岐島に伝来したと言われる「顎(あご)なし地蔵」を浅野藩時代(1619~1871)に水主(船頭)が、大河から浅野家の紋所のある提灯と共に水主町(現広島市中区羽衣町付近)に持ち込み、お堂を造ってお祀りしたと古くから語り継がれている。 地蔵尊堂は、以前「水主町348-1」にあり、十坪の土地に、木造の寄棟造の正面二間に奥行き三間の堂宇で、地獄極楽の天井図があったが、原爆投下によって灰燼に帰した。さらに新都市計画で、その土地は、今の吉島通りとなった。 そこで近くの篤志家が同家の敷地内に堂を造り祀った。 その後新たに五体の地蔵が持ち込まれた。 祭祀は、地域の世話人が子供の参加を得て例年営んできた。 太田川河川改修工事に伴い、この地に平成八年五月二十一日移転造営が決まった。これを機に有志で地蔵尊奉賛会を結成した。会員一同協力して地蔵尊の教えを広め、永くこの志を伝えたい。