『池新田村誌』によれば、沖之宮神社の祭神は「興野(奥野)左衛門尉性吉」とする。
伝承では、性吉は第四二代文武天皇の皇子(のち聖武天皇)誕生のお礼に紀州国熊野の本宮・新宮・那智の三社をこの地へ勧請するよう命を受け、、遠江国横須賀の地に本宮(三熊野神社)を、高松山の地に新宮(高松神社)を、そして小笠山の地に那智(小笠神社)を選定し、御神体を御船に遷し紀州国熊野より出でて、大宝元年(七〇一)八月無事この地に到着する。
その後、性吉は三社を鎮座して神官に任命され高松山の北東沖ノ須(門屋中)に居住してこの地の発展に尽力したという。
性吉の死後、その遺骸を南方の高地に葬り、さらに沖之宮神社を建立して永くその霊を祭っている。