吉川家などの古文書によれば、当山は石州に創建。薬師如来・日光月光菩薩・十二神将(何れも行基菩薩作)を本尊とする寺院でしたが、鎌倉時代に吉川公芸州新庄御領地の節、当山を御引き祈願を勤る寺院となりました。
吉川広家公雲州(月山富田城主・12万石)に移封の時、諸尊は当地に残置し当山も城下に移り、現本尊彌勒菩薩を謹刻(京佛師波多野長右衛門)して新たなる本尊と致しました。
吉川公、岩国転封の際は慶長8年、横山紅葉谷に再興。岩国藩準5ヵ寺にして吉川家死節の臣の回向を務めましたが幕末に廃寺の難に遭遇。
明治16年6月、周防国分寺塔頭の三之室を移して再興なりましたが、昭和16年10月1日豪雨により罹災。以来各所に転地し、昭和24年12月に尾津平岩観音堂の復興を託され転住。昭和48年には御堂を新築し、平岩観音龍門寺として60年間檀信徒教化に尽力してまいりましたが、諸般の事情を考慮して、平成28年2月、当所に本尊遷座、同年4月10日本堂落慶法要厳修。令和4年4月8日、宗教法人と成り現在に至っております。