あたごじんじゃ
福岡県宗像市冨地原1315
【社名】 愛宕神社 [A00-0176] 【所在地】 宗像郡赤間町大字富地字銭垣 【祭神】 軻遇突智大神、宗像三女神、惶根命 【由緒】 天慶三年宗像大宮司氏男創立の社なり。明治五年十一月三日村..
【社名】 愛宕神社 [A00-0176] 【所在地】 宗像郡赤間町大字富地字銭垣 【祭神】 軻遇突智大神、宗像三女神、惶根命 【由緒】 天慶三年宗像大宮司氏男創立の社なり。明治五年十一月三日村社に被定。社説に拠れば縁起に天慶三年宗像大宮司氏男、山城国愛宕嶽大神を勧請せる由見えたり。風致勝れし好祠なり、此社拝殿の左に添て二株の古松あり一株は直ぐ、一株は幹より二つに分れて巽の方に靡きたり、寛政十二年十一月村民等拝殿を修造しけるに此松障りて柱建てがたし、之を伐除くべしと相議して明朝を約して帰へりける、さて翌朝村民工匠等と共に来りて之を視るに此松是まで巽の方に靡きたりし幹一夜の間に乾の方に起直り、此度造らんとする拝殿の軒端の位置より二尺ばかり自から避け退きたり、見る者神異に驚かぬはなかりけり。此事遠近に聞えて諸人渇仰参拝者日に群をなし後には九国の内は更なり中国等より詣で来る者多しと、此社は元、太郎坊社と称へしが、寛政の後愛宕神社と改称す。今に肥前地方其他よりの参詣崇敬者多し。 村上天皇康保元年甲子五月兵乱、此時宗像臣吉田氏重平素愛宕神を信ず、戦功ありて社壇を修造し四社を加へ祭祀す、田心姫神、瑞津姫神、市杵島姫、惶根命の四神之なり。 後醍醐天皇延元二年宗像大宮司氏俊太刀一腰奉納。安永三年甲午八月当国主筑前守従四位少将黒田継高朝臣当社に参詣神饌料一折奉納。年月不詳、肥前国小城々主鍋島紀伊守江戸参勤之途次両度参詣両度共神饌料金百疋奉納。永禄三年十月宗像大宮司氏貞社参太刀一口奉納、永禄四年六月十二日氏貞社参神田寄附赤馬庄の内三段野坂郷の内二段。 【例祭日】 三月十四日、五月十日、十月十四日、五日 【神饌幣帛料供進指定】 大正十五年十一月六日 【主なる建造物】 神殿、中殿、拝殿、神庫、廻廊、社務所 【境内坪数】 六百三坪 【氏子区域及戸数】 大字富地原区 八十三戸 【境内神社】 貴船神社、厳島神社
17時迄
35分